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会社の歩み
HISTORY

食の安全と、アレルギー体質の方々に快適な生活を提供して45年

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当社は小麦粉を使わないパンやクッキー、大豆・小麦を使わない醤油等、
多種多様な食物アレルギー対応食品を開発・製造・販売して45周年(2024年時点)を迎えました。
少し立ち止まり、たくさんの医師、栄養士、看護師、教育者、なによりもご家庭で苦労されているお母さん達と歩んできた歴史を振り返ってみました。

辻 幸一郎

1.食生活の改善で、死の淵から生還した父の姿

(1)父の記憶

大手ゼネコンのエンジニアだった父。多忙な業務に加えて連日の取引先との接待。趣味を楽しんだり運動する時間もなく、連日、もともと飲めない酒をやむなく飲み続ける毎日。
朝早く出かけ、帰りは明け方という毎日。当時の父の記憶は少ないのですが、子供心ながらに、異常な太り方をしていたことを覚えています。

(2)もはや仕事を続けられない

学生時代58kgだった体重は85kgとなっていたそうです。そんな状況で仕事を続けていた父は、ついに各内臓不全で倒れ入院に至りました。
そこで待っていたのは薬漬けの毎日。何十種類の薬を飲み続けるも体調は回復せず、死を覚悟していたと聞きました。

(3)食事を変えて、健康を取り戻した

母は最後まであきらめなかった。
様々な治療法を探っていた母は、東京都文京区にあるお茶ノ水クリニックと森下敬一先生に辿り着きました。食物と浄血、自然との共存を理念とされている森下敬一先生は現代の食事療法や自然医学の草分け的存在です。
食事指導を受けて今までの食事を一新。食品添加物、肉料理、白米、白砂糖を排除し、玄米菜食を実践しました。
約6ヶ月後、機能不全に陥っていた内臓器官は回復し、日常生活を取り戻しました。

2.荻窪で辻安全食品を開店

(1)食の安全を広めたい

どれほどの人が、現代の食品添加物や精白食品の過剰摂取で、身体を壊し、辛い思いをされているのだろうか。自分の体験を通じ、少しでも食の安全を広めたい…当時38歳だった父は、ゼネコンでの将来を捨て自然食品店を開店しました。

(2)食が身体と健康を作る、ことが理解されなかった時代

辻安全食品創業当時、食の安全、食を変えれば病気が治る、という認識が世間では、現在以上に薄かったと聞いています。
お店の理念、コンセプトは理解されず、お客様は少なく、せっかくの無農薬野菜も無添加食品も不良在庫となり…
そんな中、父はトラックを借りて、町中で移動販売を実践しました。
1年中休みなく、働き続けていた父の姿を忘れることができません。

3.食物アレルギー対応食品の開発

(1)経営は厳しくとも志は高く

辻安全食品の経営は火車の中であっても、食と健康を考える人たちからご要望は頂くもの。
父の知人の医師、厚生中央病院の北嶋征男先生からの相談がありました。
「卵や牛乳小麦を使わないクッキーはできないだろうか」。
この一言が、辻安全食品が食物アレルギー対応食品に取り組むきっかけとなりました。
「アトピーは食べ物アレルギーである」という考え方があること、そして、牛乳や卵、小麦といった特定の食品を制限することで、難病だったアトピー性皮膚炎が治癒していることを知り、食物アレルギー対応クッキーの開発にかかりました。

(2)アレルギー原材料除去食品誕生の、世界第一歩を踏み出す

東京都中野区にあった知人の製菓工場で、世界初の食物アレルギー対応食品の開発が始まりました。
クッキーは、砂糖と油で作った生地に、小麦粉、卵、砂糖、その他香料や膨張剤を加えて作るもの。
小麦粉の代りに澱粉、卵の代りに水、油はアレルギーを起こしにくい菜種油、
砂糖はアレルギーを起こしにくい甜菜糖、等原材料の選定から始まりました。
工場内の原材料の保管方法、製造機器の分解洗浄等、現在各地で生産されている食物アレルギー対応食品製造の基礎が、誕生した時です。世界初の食物アレルギー対応クッキー「サクサククッキー」
小麦、卵、牛乳その他、現在のアレルギー特定原材料28品目を一切使わない、それでいて、卵ボーロのように甘く口どけが良い品質は、開発から30年経っても、たくさんの方々にご利用頂いています。

4.食物アレルギー対応食品の開拓者に

(1)食物アレルギー対応食品の開発・販売に特化する

アトピーは食べ物アレルギー、という考え方が浸透していなかった時代(というか各方面から攻撃されていた)、父を支え、応援してくれていた北嶋征男先生は自死という悲しい選択をされました。逆境に立たされた、父は今まで以上の奮闘をしました。
菓子に留まらず、例えば大豆・小麦を使わない醤油・味噌の開発、小麦粉を使わないホットケーキミックス、卵を使わない雑穀ボーロや練製品、小麦粉を使わないカレールウ、卵・牛乳・パン等、次々と食物アレルギー対応食品を開発しました。
1980年代後半~1990年代前半のことです。今思えば、現在、世間で見られる食物アレルギー食品の原型は、このころに全て父が開発したと思います。

(2)全国のお客様に辻安全食品をお届けします

1990年代前半、アトピーは食べ物アレルギーである、という考え方に共感される医師が増えた時期です。辻安全食品は、店頭販売と移動販売に加えて、全国のお客様に品物をお届けする通信販売を確立しました。

(3)調剤薬局を設立

この時期、食物アレルギー専門医との協力体制を強化するため、北海道札幌市で食物アレルギー専門の調剤薬局を設立しました。
アレルギー体質の方々にとって悩ましい、薬に関する相談も受けられる体制が広がりました。

5.志をなくしてはならない

私は大学卒業後、医療機器商社の営業マンとして働いていました。
辻安全食品の経営には全く関わっておりませんでした。
1998年夏、父が過労とそれに伴う心臓発作で倒れる事態がありました。
それが私の人生の転機となりました。
これからの自分のやりたい仕事や、将来のビジョンがありましたが、自分が長男であること、少年時代に休むことなく働き続きた父の背中を思い出し、父の志を絶やしてはならないと思い、辻安全食品を継ぐことを決意しました。

6.新商品開発に取り組む

1999年に正式に辻安全食品の社員となりました。注力したことは食物アレルギー対応食品のバリエーションを増やすこと。
お客様のご要望は多様化しており、例えば内容だけでなく、レトルトタイプのような利便性を重視した品物作りなど、今までの辻安全食品になかった商品開発に取り組みました。
パン、ハンバーグ、ラーメン等、子供たちに食べさせてあげたいというお客様が次々と当社を訪れました。当時は5大アレルゲン、卵、牛乳、大豆、小麦、米と言われていましたが、それら以外にもアレルゲンとなりやすい食材は多いのです。
それらを食べられない子供たちのための、美味しい食品が必要だったのです。

7.自社工場を設立

食材を探して全国を飛び回り商品を増やすも、一般の工場では、食物アレルギーに対する認識が薄く、アレルゲンが混入する恐れがありました。
2006年、埼玉県入間郡毛呂山町に、辻安全食品専用製菓工場を立ち上げました。
また、同時期、食物アレルギー専用設備を持つ工場とも提携しました。
専用の設備と人員を得たことで、商品開発のスピードが格段に良くなりました。

8.アレルギーっ子ツアーの開催

アレルギーの子供その家族は、一般的な旅行を楽しめない状況にあります。
そもそも、宿泊先で出される料理を食べられないことに加えて、万が一、アレルギー症状が出たことを考えると、なかなか旅行できないわけです。
アレルギーの子供は、旅行の楽しみを、ご家族には心から安らげるひと時を提供したい…各ホテルや母親の会、旅行会社と提携した、アレルギーっ子ツアーを行いました。
各ホテルの料理担当と、原材料の選定、調理環境の見直し、食物アレルギーに関する勉強会を数カ月にわたり行い、まさに命がけのアレルギーっ子ツアーを成功させました。

9.機内食を作ろう

大手航空会社との提携で、アレルギー対応機内食を開発しました。
メニューや原材料の選定、味の調整、商品形態、提供方法等、1年近い期間を経て開発に成功しました。
気圧の関係で、味の調整が必要だったことに加えて、とにかく、アレルギーに関する安全を確保せねばなりませんでした。
例えば、上空10,000mで、誤食が生じ、激しいアレルギー症状を起こしたらどうなるのか。最悪の事態を避けるために、出来るだけのことをやりました。
当社が機内食を提供してから8年以上が経ちます。
事故もなく、ご利用される方々からご好評を頂いています。

10.衣食住、全てをトータルサポート

食物アレルギー以外の様々なアレルギーを持つお客様が当社を訪れるようになりました。特に化学物質過敏症、シックハウス症候群と言われる、環境に起因するアレルギーです。
2004年、環境アレルギーの世界的権威である、アメリカ環境健康財団(AEHF)のDr.Reaを訪問し、当社の活動のサポートを受けるとともに、日本国内の数少ない専門医と連携した建築会社を設立しました。
食物アレルギーから環境アレルギーまで、トータルでサポートする体制を作りました。
日本でも当社だけだと自負しています。

11.会社の代表に

2009年5月に、日本でも数少ない化学物質過敏症専門クリニックの施工を終え、更に同月創業30周年を祝う会を東京都千代田区の学士会館で開催しました。
その数日後、父は心臓発作で急逝しました。あまりに急な出来事でした。
悲しむ間もなく代表に就任した私は、これからの辻安全食品の発展に忙殺されました。

12.これからは、アレルギーだけでない、様々な症状で悩んでいる方達をサポートしたい

辻安全食品が創業45年、父の急逝から13年、私が勤務を始めてから24年を迎えました。
その間、たくさんのアレルギーの方々や医師、教育者との出会いと学びがありました。
今までの取り組みを強化するだけでなく、新しい商品開発に挑んでいます。
例えば、アレルギーを起こさないだけでなくアレルギー体質が良くなる食品、肥満や成人病といった生活習慣病の改善に役立つ食品の開発等、これからも新しい挑戦を続けます。

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